給湯流茶道

column

アジェンダ >

【記念講演レポート】利休と不動産について

拝啓

打ち合わせ会議がねむたすぎて舌でも噛むかと決心した矢先

斜め向かいに座る先方の若手がガン寝しており

諸行無常の響きを感じる昨今、

 

みなさまにおかれましてはますますご清栄のことと存じ上げます。

 

さて、去る2010年7月古田織部の命日(があった週末)、

給湯流勝手に皆伝式典をとりおこないました(敬礼)!

 

 

全体P7110098.JPG 

給湯流がたちあがるきっかけとなったラディカル本

岡倉天心のTEA OF BOOKを教えてくださった恩人、

現代美術ギャラリー東京画廊 の山本豊津さんに

記念講演をお願いいたしました。

 

ここに、その議事録をご報告いたしまする。

なんと、テーマは「利休と不動産」!!!

ゆっくりとお楽しみくださいませ。(←アヤパンが着物で優雅にお辞儀する感じで) 

 

 

100億する銀座の土地と、100億するピカソの絵

どっちのほうに価値がある!?

 

もともと茶道は、男の遊びと、天下取りの意味があったんです。
なので、今日はその天下取りに必要な不動産の話をします。

 

司馬遼太郎の"ロシアについて"という本に4月に出会いました。
この本がむちゃくちゃ面白い。

 

今ではロシアっていうと、日本人にとっては身近じゃないんだけど、
昔は日本とは深い関係があったんです。

 

その本の中に
ロシアが鉄砲によって建国できた時期と
織田信長が鉄砲によって武田信玄に勝った時期が重なっているという指摘があります。

 

鉄砲が入るまで日本は騎馬軍団が強いところが戦争で強かった。

日本にも騎馬民族が二箇所入ってきた形跡があるんです。
その地域にいた戦国武将が強かった。

 

でも、信長が鉄砲で戦うシステムをとりいれ
駆逐していったんです。

ちなみに騎馬民族が入ったとされる一箇所は武田信玄のいた中部地方でもう一箇所は東北地方です。

 

その話は元YMO細野晴臣氏の民族音楽研究によって証明されているんですよ!

 

モンゴル騎馬民族の音楽と、日本の南部の民族音楽が
そっくりなんだそうです。

 

そして、今日は不動産の話をしましょう。

 

ピカソの絵が最近100億で売れました。

一方、銀座のある土地は、100坪で100億になっています。

同じ100億、どっちが価値があると思いますか?

 

お金持ちにとっては、絵と不動産、
どっちを持っている方が得か、という時代に入っています。

 

たとえばお金もちは投資目的で土地を買います。
しかし中国では土地を購入できません。


日本では100億土地を持ってるだけで、年間固定資産税を約4000万円とられるらしいです。

 

100億の絵を持っていても、持ってるだけでは税金がかかりません。
売るときにはかかりますけど

 

絵を保管するっていったって、トランクルーム代は月々5万円くらいしかかからない。
保険は必要です。ただし移動させない限りは、保険の金額も大して上がりません。

 

じゃあ100億の価値は、どうやって生まれるのでしょうか?

 

ピカソの絵が高いのは、世界中の人がピカソの絵を知ってるからですね。

 

でも、銀座については世界で知らない人もいる。
銀座の土地は、日本の国際的な影響力(世界性)が下がれば、価値も下がります。

 

ピカソの絵が高い理由は

1世界中の人がピカソを知っているから。ヨコの情報
2ピカソが新しい芸術を創造した歴史性。タテの情報

ですね。

 

自然に価値が生まれるわけではなく、情報が価値を決めるんです。

 

 

土地を所有する概念がなかった日本だからこそ

千利休があらわれた

 

話を信長、利休に戻すと、、

先の司馬遼太郎の本で面白かったのは、ロシアでの土地所有の話。

 

イギリス王室は、持ってる土地が生みだす収益で暮らしていますが、
日本の天皇陛下は、土地は持っていません。

 

時代をさかのぼっても、天皇は土地を持ってない。
宮城は徳川のものだったし。

 

でも、ロシアの貴族は土地を持っていました。

 

貴族から武士に政権が移ったとき、
どうやら武士も土地を持ってるという感覚があまりなかったようです。

 

武士は管理権は持ってても、所有権を持ってなかった。
お国替えで城を明け渡してしまうのも、所有権がないからですね。

 

革命の対象である土地の所有権がないから革命が起こらなかったともいえます。

 

町民も土地を持ってるという概念はなくて、住めればいいという感覚だったようです。

土地をめぐる争いはなく、楽市楽座などは、政治的な安定によって
日本は栄えました。

 

信長より前の時代の日本はその土地土地で税がかかっていましたが

楽市楽座は無税!ほぼ日本中のものが集まりました。

 

価値は、持ってくる距離に応じてついたのです。
都から遠いところでできたものほど高く売れる。


みんな土地を購入するという習慣がないから、商売をするとお金がたまる一方。
そして千利休が現われました。

 

 

P7110297給湯流デモ中.JPG 

東山文化で花や茶の遊びが活発になりました。
坊さんや将軍のヒマつぶしのためです。

 

花も書も茶(禅宗で発達、栄西がもってきた)も、全部仏教から派生した遊びです。

寺の坊さんは、座禅などして起きてる時間が長いから、彼らだけ3食ご飯を食べていたようです。

 

普通の人は2食だった時代です。
将軍は寺に通っちゃ、飯を食っていた。そうやって茶が栄えたんです。

 

君台観左右帳に、
いろんな美術品を足利の将軍が集めた記録があります。

 


東山文化のものもふくめ、日本の美術品は意外と海外に流出してないといえます。

 

でも中国、韓国の美術品は海外に結構流出しました。
日本にも、韓国の陶磁器のすごくいいのがきてたりします。

 

大阪府立東洋陶磁館にある朝鮮の陶磁器は代表的です。

 

ある企業が倒産したときに一度売りに出されました。
しかし当時の韓国企業はお金を出せなかったんです。結局日本の公立美術館へ移りました。

 

 

不動産をもたずお金がたまる武士や商人に

高い茶道具を流通させ、社会の安定をはかる


お茶の話に戻しますと・・・

去年読んで面白かった本は、三国連太郎の「芸能と差別」。

 

利休は魚屋さん。信長が、情報収集につかえると判断して、武野紹鴎とか、千利休とか、
堺の商人と仲良くなりました。

 

信長はかなりのスピードで鉄砲の量産体制に入りました。

 

そういう権力者の情報伝達のひとつの方法として、茶の湯が発達したのです。
利休が考えた遊びは信長や秀吉に最大限利用されました。

 

でも、茶室の中には刀を持ち込むのは禁止とか、
そういう階級や権力を遊びに持ち込まない姿勢が、秀吉の怒りを買ったのではないか。


武士階級出じゃない秀吉が、利休と一緒にやる際考えたのは、
国内を平定するために、茶などの遊びを利用して商品経済を活性化させて、

 

支配者に必要な情報収集ができるようなればいいということ。

 

お茶道具が高くなったのはわざとです。

 


P7110108ほづさんアップ.JPG

不動産をもたない武士や商人はお金がたまる一方なので、
茶道具に付加価値をつけて商品流通を発展拡大させ、社会の安定を図ったんです。

 

土地を持つことは恥ずべきと思われていたけれど、

茶道具を持ってることはよいこととされていました。

 

ただし、それでも資産をコントロールしきれなくなったので、
のちの江戸時代では参勤交代までして、地方の大名の資産が増えないように抑制しました。

 

千利休は、茶道具の価値を高めることを考えました。
値段が高いという点では、ピカソの絵≒茶道具ともいえます。

 

中国から持ってきたから価値があるとか、
朝鮮やルソンの日常雑器を茶道具に見立てて、価値があるとしたり。

 

なんと現代では※茶杓一本で700万円もするものがあります。

(※茶杓・・・茶道でお茶をすくう竹のスプーンのようなもの)

 

茶杓自体の素材は竹なので、絶対的価値はない。
物自体がうんぬんっていうより誰がつくって誰に受け継がれたか、ということが価値をきめる。

 

茶杓本体ばかりでなく、箱も大事。
※箱書きがないと、価値が決められない。

 

(※箱書き・・・茶道具が入っている箱に、誰が所持していたなどと筆で由来がかいてあるもの)

利休が竹を削ってつくった茶杓が信長に渡り、信長から地方の武将に譲られ・・といった由来。

 

この箱書きが、ピカソでたとえると歴史という縦軸のコード。

茶会などで道具を見せる行為は、多くの人が知っているかどうかの

横軸のモード。

 


あまり価格が高くなると茶会でお客さんに

「このお茶碗ステキですね・・どこで手に入れたのですか?」
と言われるためだけに、茶道具を買い求めることがおこってくる。

 

こうやって縦横での価値付けは、江戸時代にはできました。

日本人独特の価値です。
ここで大事なのは、不動産が動いていないということ。

  

ところが戦後、住宅を所有することを政策にしたために、生活の中で住宅費に収入の大半を使うことになりました。また担保としての不動産の役割が付加されました。
結果として不動産にお金が動き、なかなか美術品に回ってきません。

 

1980年代以降、やっと美術品までお金が回るようになったと思ったら、
先般のリーマンショックが起こってしまいました。

 

 

非実体なものを扱うことにかつての日本人は長けていた

 

江戸時代、朝鮮通信使の人たちは、大阪で先物取引を見てびっくりしたらしいです。
非実体なものの取引に衝撃を受けました。
すでに日本では江戸時代に代数学まで発達してたので、先物取引まで可能だったらしい。

 

世界でも、先物取引をやっていたのは日本だけだったんです。

 

朝鮮だけでなく、その後ヨーロッパの人たちも日本のこのシステムに驚き
大阪に見学しに来たらしいです。

 

つまり、非実体なものを扱うことにかつての日本人は長けていたんです。
今また僕たちは、この能力を取り戻さなくてはいけない。

 

道具P7110219.JPG

 

近代の経過で培われた"信用"という基盤があったから、

マルクスとエンゲルスが書いた資本主義は発達しました。

 

江戸時代に人々の均質化がなされていたから、日本は工業化が早かったといえます。

たとえば武士道にも「信用」という生活習慣が浸透してたから
早い近代化が可能だったのかもしれません。

 

余談ですが・・
切腹は筋肉まで刺してはいけないらしい。

すーっと脂肪の層まで刀を入れて、おなかを切る。
美しく、それから介錯させる武士の知恵です。

でも三島由紀夫は興奮して、おなかを深く刺したらしく、痛くてのたうちまわって
介錯人にうまく首を切り落としてもらえなかったと聞きました。

 

 

プロテスタント的な倫理観が大切。

その倫理観が近代化を推し進める最大のポイントだったんです。
でも金融的社会ではそのような倫理観は壊れ始めてしまった。

 

その理由は、個性教育やゆとり教育をしたことだと思います。
つまらないことと、楽しいことのメリハリをつけないと生きている実感が湧きません。

 

たとえば、文字の教育を受けはじめるとつまらない絵を描き始める。

人の目があるからこそ、それを盗んで何かをやることの楽しさがわかるんです。
なんでも「自由にやっていいよ」なんて学校側がいうから、

みんなつまらない絵をかくようになる。

 

それに、戦争で負けてからは日本は文化的に劣ってると思い始めてしまいました。
アメリカの文化を目標にして、日本の文化における目標を見失ってしまいました。

 

でも最近の日本の若い人たちには、自分たちの文化をつくろうという気はあるように感じられます。

 


商人だった利休から新しい形の茶道がおこったことから考えると、
これからサラリーマンとかOLの間から給湯流が生まれるのも

それほど奇異なこととも思いません。


新しい日本の価値は文化と経済の融合があって生まれると確信しています。

 


大雑把名な話で失礼しました。

 

お金を稼ぐことから文化が生まれると思う、今日この頃です。



«  「夏のOL☆給湯流自主練」のお知らせ (人材育成)

»  【給湯流コンセプトまとめパワポ】岡倉天心様 お世話になっております(敬礼) (スキーム)