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現存する世界最古のオーケストラ「雅楽」が指揮者を伴わずに演奏ができるのはなぜか?


■雅楽と縁遠い日本人

 

雅楽(ががく)と聞いて、どんな音楽かピンとくる人は少ないだろう。三味線とか尺八をイメージしたあなた、それは間違いです。雅楽にそのような楽器は出てまいりません。

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写真/本宮誠 

雅楽は千数百年前に、シルクロードをわたってきた音楽である。オーボエのような音がする篳篥(ひちりき)、フルートのような竜笛(りゅうてき)、神社で誰もが聞いたことがあるファーという音を出す笙(しょう)とよばれる三種類の笛を中心に、打楽器や弦楽器をまじえて演奏される。今ではプロの演奏家がホールで演奏するのを鑑賞することが多いが、平安時代は宮廷につかえていた貴族男性の業務の一環だったそうだ。

 

「源氏物語」のような雅な男性のイメージは幻想で、実際の平安次代の貴族はヤンキーに近かったらしい。血の気が多くすぐ殴り合いになり殺傷事件もしょっちゅう起きていた。身分が高いからどんな悪さをしても咎められないことが貴族男性の暴力を加速させたのだという。そんな彼らの気を静めさせ仕事に集中させるために、自ら雅楽の演奏をするよう義務付けられたそうだ。今、日本の雅楽団の最高峰のひとつは宮内庁に所属している。雅楽プレイヤーが国家公務員なのだ。それは平安時代の雅楽演奏者と近い部分があるかもしれない。

 

そんな雅楽の歴史を知る人は日本ではごく少数で、現在は初詣の時に神社でなんとなくながれてくるのを耳にするかしない、といった音楽になった。

 

雅楽を知らない人が多いのはしかたがない部分がある。今でこそ、文部科学省の教育方針が変化し小学生の愛国心を育てることがひとつのテーマとなり、音楽の授業で雅楽に触れる授業プログラムが設計され、教科書にも雅楽の楽器が載っている。

 

しかし、1980年前後生まれの人であれば雅楽もガの字も学校で習ってないだろう。私などは、小学校の授業で音楽と言えば、ビートルズのオブラディオブラダを歌ったり、アメリカ黒人の民謡「聖者の行進」を演奏したり、YMOライディーンで運動会でかけっこをしていたり、といった記憶しかない。

 

なにも学校教育で音楽を学習する必要はない。好きならどんどん聞いたり演奏したりすればいい。しかし、小学生の習い事で雅楽やってます、なんて人がまわりにいただろうか。たいていはピアノ、やんごとなきご家庭でバイオリンを習う人はいても雅楽団にうちの子いれたわ、なんて家庭はごく小数だったろう。あとは親の偏った教育でロックでつかうギターやドラムを習わせる人もいるかもしれないが。

 

■日本人の音楽 原風景

 

別に私は雅楽を普及する団体からの回し者ではない。今の日本人のほとんどが幼いときに触れる音楽といえば、バッハやモーツアルトを起源とした、西洋音楽を基本としているという事実を確認したかっただけだ。

 

幼稚園の先生はピアノやオルガンに左手をのせて拍子にあわせ伴奏を弾く。ドソミソドソミソ。そしてメロディーを右手で弾き、子どもたちが一斉に歌いだす。これが戦後、日本人の音楽の原風景ではないか。伴奏は下支えするもので、主旋律を歌う人間の声が主役だ。

 

当たり前すぎて何とも感じていない人が多いかもしれないが、こんな音楽形式はせいぜい江戸時代くらいのバッハが整理して提案した音楽の一つの様式でしかない。しかしこのONE OF THEMの音楽様式を、普遍的なものとしてとらえている日本人は多いのではなかろうか。かくいう私もその一人だ。

 

幼稚園で大声で歌ったキラキラ星を筆頭に、日本人の大半はポップミュージックに触れていくことになる。ベース、ドラムが伴奏をして、そこにギターやピアノがコードをのせ、ボーカルが主旋律を担当する。主旋律の1音に、言葉を何音のせるかは言語の特性でかわる。日本語は1音に1つの母音をあてるのに向いている言語だ。キラキラ星なら、ドドソソララソに1音ずつ音をののせる「き・ら・き・ら・ひ・か・る」。英語だと1音に子音がたくさん入った単語を早口でのせていく「twinckle  twinckle littel star.」。

 

このような形式に慣れすぎてしまった日本人は、音楽というものが伴奏と主旋律に役割がわかれていて、ときに主旋律に言語をのせるものだと無意識に感じている。もちろん「現代音楽」「アンビエント」などと呼んで、明確な主旋律がない音楽をたのしむ人もいるだろう。あのジョン・ケージも雅楽が好きだったそうだ。しかしそれは乱暴にいえば、子供のころから親しんだ音楽の亜流としてとらえているにすぎないといえる。

 

■目に見えない指揮者

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写真/本宮誠 

そんな人間が雅楽の生演奏を初めて聴いたときは、混乱する。ぱっと聞いただけでどの楽器が主旋律かすぐ判断できないからだ。

 

今でも覚えている。自分が初めてホールで生演奏をきいたのは数年前浅草で行われた天理大学雅楽部の公演だ。雅楽団の演奏が始まった途端、耳の回りにぶわっと一斉に音の膜のようなものがはりつく。音圧というより、薄くて繊細な膜だ。どれがどの楽器の膜かわからない。でも雅楽の楽器の薄い膜に囲まれてシャボン玉になった自分がふわふわとホール内を浮遊している気持ちになった。

 

 

だんだんと音の膜になれて冷静にステージをみると、雅楽団は20人くらいはいたと思う。それなのに、彼らを束ねる指揮者はいない!テンポ(DJなどがいうところのBPM)をリードするドラムのような打楽器もおらず、というか何拍子なのか拍も数えられないような抽象的な旋律だか伴奏だかわからない音がなっているのに、フリージャズでみんなが好き勝手に音を出しているような煩雑さはなく、ものすごく統一された塊として聞こえはじめた。

 

そうなのだ、世界最古のオーケストラといわれる雅楽には指揮者はいない。それでもみな調和して演奏ができる、いったいなぜなのか。

 

■楽器音を擬音化した言葉が、楽器を上回る

 

その秘密は、唱歌(しょうが)にあった。じつは雅楽では楽器の練習を始める前に、伴奏無しでアカペラの歌をうたいあげられるように訓練をするのだ。日本の雅楽団の頂点の一つである宮内庁が運営している雅楽団に入部した若者は、楽器の練習に入る前に、唱歌だけの練習を何年もするともいわれている。

 

実際に、唱歌を聞かせてもらうと今の日本語では理解不可能なことばが乗っている。「おつーおつー」とか「ちーらーろーるろ」といった謎の歌詞ばかりだ。歌詞の意味を問うと、複数の和音を出す笙ではコード音を、一音で旋律を吹く篳篥や竜笛では一音一音の擬音語を歌っているのだという。

 

日本人にわかりやすいように例えれば「Aマイナー、B、F、F~」とか、「ドレミファソー」と歌っていることに近いようだ。こう書いてしまうと、ただの口頭で伝える楽譜のように思われてしまうかもしれないが、唱歌そこまで単純な演奏道具ではない。

 

何年も唱歌を訓練してから、はじめて笛を吹くというのはどういうことか。歌うように演奏する、つねに脳内で唱歌が流れている中でぴったりと同期するように笛を吹くのだ。西洋の楽譜に「クレッシェンド」とか「小鳥のように」とか指示が書いてあるように、唱歌の訓練でも、絶妙なアタックの出し方やグルーヴなどを徹底的にマスターする。唱歌が高いレベルまで鍛錬されないと笛で充分な演奏はできないという考え方だ。

 

西洋のオーケストラや、エレクトリック・ギターなどでも擬音語で「ぎゅわーーん」とか「たったったた」などと口頭でリズムを確認してから演奏練習をすることもあるだろう。でもそれは、うまくできないフレーズ一部分で行うことが大半だ。

 

雅楽ではつねに演奏者の脳内に唱歌が流れている。一流の雅楽団では、全演奏者の脳内に同じグルーヴ、同じリズムで唱歌が奏でられている。だから、指揮者がいなくてもひとつの球体のようにまとまった音楽が演奏できるのだ。

文/給湯流茶道 谷田半休 監修/給湯流雅楽部 音無有休 




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